子どもに男女差はあるが、ジェンダー差は親が助長する

Xでバズる、可燃性の高い話題があります。それは、男児・女児といった性差に関する投稿です。私は「子どもに男女差なんてない」という認識でいましたが、今回、改めて調べるとそれも誤りだということがわかりました。私たちは、このジェンダーレスが叫ばれる時代に、どのように子どもに接するべきでしょうか。

わたしについて
まみ
  • 2023年5月育休復帰
  • 子は6歳児・1歳児クラス
  • 時短・フルリモート正社員
  • 夫激務のためワンオペ
このページの内容

いつから男女の性差が現れるのか

自分の性別を理解するのはいつ頃から?

生物医学的な男女の違いを「セックス」、社会的・文化的な性の違いを「ジェンダー」と呼びます。

「ジェンダー差別」という言葉もある昨今では、私たち親世代は、事実上動かしがたいセックス(体格の差、妊娠出産できるのは女性だけだということ)と、ジェンダー(いわゆる「男の子/女の子らしさ」)を区別して、またはうまく組み合わせて子どもに接していくことが求められています。

発達心理学上、子どもは3歳ごろには自分がどちらかに分類されることを理解します(性の同一性)

では、いわゆる「男の子らしい」遊びである乗り物や怪獣、戦隊ものごっこと、「女の子らしい」おままごと、人形やプリンセスごっこは、どのようにして彼らに表出するのでしょうか。

興味・関心は脳によって現れる

実は、これらは「自らの性を理解した結果、それに沿った遊びをしている」のではなく、自然と、それらに興味を持つというのが最近の研究でわかってきました。

原因として考えられるのは、胎児期におけるホルモンの影響です。

胎児の体の構造は、はじめ、女性(性染色体:XX)としてつくられます。着床から8週間ごろにY染色体を持つ胎児は男性ホルモンが分泌され、このとき、外性器のみならず、脳までも男らしくなるのでは、と考えられています。
(参照:【小児科医・高橋孝雄の子育て相談】男の子と女の子の“性格”はなぜ違うの?(ミキハウス)

よって、興味の対象物が変わってきます。個人差はあれど、一般的に、男の子は乗り物や恐竜、女の子はぬいぐるみやお姫様が好きですよね。

どうして好みが分かれるんだろう?

実は、なぜ男の子と女の子で好みが分かれるのかは、現時点では科学的に解明されていないのです。

傾向としては、性差によって好むものには以下の差が出てくるようです。

男の子女の子
動くもの、大きいもの、強いものやわらかいもの、丸いもの
(参照:なぜ、男の子は乗り物、女の子はぬいぐるみを好むの? 遊びの性差【前編】(ベネッセ)
わたし

私が考えていた「子どもの頃の思考に性差なんてない」は、間違いだったのか!

ジェンダーはどう育つか

いままでは、「セックス」に沿った事実を述べてきました。では、「ジェンダー」はどうでしょうか。

言葉の定義をおさらいすると、ジェンダーとは、社会的・文化的な性です。これはその定義のとおり、環境により育まれる性別です。

幼児期のジェンダー問題を考える上で、先日、私が子ども(年長)の運動会に参加して印象的だった事案を2件、ご紹介いたします。

「足の速さ」は男子の専売品?

年長児の真骨頂、リレーの迫力には、親の私も感慨深いものがありました。

最後の方の男の子たちのダイナミックな走りに圧倒され、自分の子どもばりの声援を送りました。

しかし、ここで違和感を覚えたのです。

アンカーとその手前、両方とも、男の子だったな。

ダントツかけっこ塾の記事を拝見すると、0.2秒の差で、男の子の方が足が速いことになります。

しかし、娘のクラスは、女の子の方が人数が多いのです(男女比2:3)

不思議に思っていると、隣の男の子のお母さんグループの会話が聞こえてきました。

アンカー、うちの子もやりたいって言ったみたいなんだけど、できなかったのよね。

そうなの? どうやって決まったんだろうね。

最後は立候補した子で競争したらしいよ。それで、アンカーになれなかった子は、アンカーの前になったんだって。

おや。ということは、女の子は、誰もアンカーに立候補しなかったことになります。

私の目から見ても、女の子でも足の速い子はいましたし、現にかけっこ教室に通っている子もいました。でもその子たちは、アンカーに立候補しなかった。

これは、子どもたちの間でも、「アンカーは男の子たちがやるもんだ」という認識があるからではないでしょうか。

「この子は男/女の子だから」と言う親

運動会が始まる前、子どもたちは在園児席に座って開始を待っていました。

その間、Tくんという男の子が一人、保護者席に向かってかけこみました。

すると、女の子たち数人が、その子を呼び戻しにきました。なかなかの権幕です。

Tくん、お席で待ってないといけないんだよ!

それに対し、Tくんのお母さんは、同じグループの親に対し、「こわくな~い?」と笑って言ったのです。

衝撃的でした。ここは「お席に戻りなさい」と言うべきところ。それを女子(=自分の子とは違う存在)に責任転嫁して周囲の大人(力関係では絶対に子どもは勝てない)に同意を求め、自分を正当化、あるいは打ち負かす行動をとった。

なんと卑劣な言動でしょうか。私は、傷ついた、ばつの悪そうな顔をした女の子たちがすごすごと戻る様子を眺めていました。

確かに、女の子たちも言い過ぎだったかもしれない。自分の子だったら、「そんなに強い言葉で言わなくてもいいんじゃない?」と注意する。

でもそれは、「女の子だから」ではなく、人間として、そうします。同様に、Tくんが私の子だったら、運動会という場で、テンションが上がってしまった故の行動だから、そんなに目くじらを立てることでもないという認識は持ちつつも、「今はお席に着く時間だから、戻りなさい」と言ったでしょう。これも同様に、人間として、男の子だろうが女の子だろうが、幼かろうが大人びていようが、変わりはありません。

「ジェンダー」は、親が植え付ける

改めて、SNSで見る、男児・女児の性差に関するコメントを見てみましょう。

  • 女の子は狡猾、あざとい
  • 男の子は愛嬌がある
  • 女の子は生意気
  • 男の子は頼りになる
  • 男の子は粗野
  • 女の子は活発

これ、ものの見方だと思いませんか?

「自分をかわいい」と思っている子に対し、それが男の子なら「愛嬌がある」、女の子なら「あざとい」。

口達者なら、男の子は「頼りになる」、女の子は「生意気」。

行動的な子なら、男の子は「粗野」、女の子なら「活発」。

同じ事象を、「男の子なら/女の子なら」と区分けするのは、大人である私たちなのです。

また、2つ目の事例でいうと、「〇〇は仕方ないよね」という思考をしてしまうのも、大人の特徴だと言えます。

男の子だから、言うこと聞かなくても仕方ないよね。女の子だから、生意気言っても仕方ないよね。こうして諦めている、あるいは甘やかしているのは、親自身ではないでしょうか。

男の子であっても、言うことを聞かせる場面では聞かせる。女の子であっても、あまりに失礼な場合は注意する。これは、セックス上の違いは関係ありません。しかし私たちは、そこにジェンダー的な甘さを見てしまう。あるいは、ジェンダーを基に見下したり、排斥したりしてしまう。

そうではなく、性別がどちらであれ、人として許容すべきかどうか、自分の中に軸を持って正当な評価ができないと、いつの間にか「ジェンダーの沼」に足をすくわれてしまうのです。

どちらの性別の方がうれしい?

よくある「女の子の方がうれしい」「男の子の方がうれしい」についても考えておきたいと思います。

これは「私にとっては」が冒頭につけば丸く収まる問題のように思えるのですが、やはり性別によって語ることに違和感を覚えたので、私なりに考えたことを記します。

女の子の方がかわいい?

まず、「女の子の方がかわいい」に代表される意見は「大人になったら一緒に色々遊べるから」と理由付けられています。

女の子の方が、メイクや服で共に楽しめる、と。

私は、確かに自分がそう思っている節があることを認めつつも、その実態は「女の子だから」ではなく、「私と趣味が一緒だから」だと思っています。

スポーツ、アウトドア、芸術鑑賞など、男女関係なく、趣味が合う人と共通の話題で語れるのは嬉しいですよね。これは、人間関係と同じです。

だから、女の子だから一緒におしゃべりできるのではなく、たまたま共通の趣味があるから、語れるだけなのです。

ただ、その「共通の趣味」について、親の好みを押し付けることをせず、子どもの興味に親が寄り添う姿勢でいたいものです…!

なので、私は確かにオシャレが好きだけど、もし娘がオシャレを好きにならなかったとしたら、また別の共通点、あるいは彼女が好きなもので私が興味を持てそうなポイントを探って、一緒に会話を楽しみたいです。

男の子の方がかわいい?

次に、「男の子の方がかわいい」理由としては「男の子の方が幼いから」が挙げられます。

これは、長子に生まれた私としては飲みがたい意見で、なぜならば、「幼ければ幼いほどかわいい」ならば、上に生まれたきょうだいは、いつだって下のきょうだいよりもかわいがってもらえないことになるからです。

幼い時分は、本当にかわいいです。でもそれは、幼いからかわいい、なのではなく、幼い時のかわいさがある、というだけなのです。

かわいさは、いつ・誰にだってあります。1歳には1歳の、6歳には6歳のかわいさがあります。

子どもはいつだってかわいい、大人がそう信じてやれさえすれば。

「男らしく/女らしくあれ」は私の中にも、ある

ここまで熱くジェンダーについて述べましたが、私には子どもたちに「男らしく/女らしくあれ」と願うことはないのか?と自問すると、胸を張ってYESとは言えない、前時代的な考えに縛られている自分がいることに気づきました。

私は娘には「上品に、賢くあれ」と願い、息子には「たくましく、事を成し遂げよ」と背中をたたいてしまう。娘と息子に持ってほしい資質がイコールではないのです。

ただ、これは、私が一人の人間として、男性に期待すること(=主人の好きなところ)と、性自認:女性である私自身が心がけてきたことの集合体なだけのようにも思えます。

このバランスを取るためには、子の共同養育者(私の場合は夫)と、「子どもたちにどう育ってほしいか」をしっかり認識合わせしておく必要がありそうです。

そうすれば、夫が考える、娘/息子に期待することと、私のそれのバランスが取れて、上手い具合にジェンダーを越えた、わが子に身に着けてほしい力を言語化できそうな気がします。

共通して伝えたい価値観

ただ、いずれにせよ私が子どもたちに伝えたいと現時点で考えている絶対的なことは、以下の2点です。

  1. 家父長制度に囚われない家庭運営をすること
  2. 自分と(結婚する場合は)パートナーの、両方の人生を大切にすること

ちなみに、私自身は家父長制度の根深い家に嫁いでしまいました。付き合っている時は夫にそんな思考は見えなかったし、現に彼からは義実家ほどは強い信念は感じませんが……

私は、女の子の親でもあるし、男の子の親でもあります。

だから、「花子ちゃん(娘)も働くんだから、旦那さんにも家事育児してもらって!(でも稼ぎは旦那さんの方が多めにね!)」とも、「今どき共働きが普通でしょ!(でも太郎くん(息子)には家事教えなくていっか~)」とも思いません。

自分が選んだパートナーと人生を共に歩む以上、2人の「ここが心地よい」ポイントを2人で探し合って、そのために自分ができる最大限の努力と譲歩ができるような大人になってもらいたいです。

ジェンダーの違い、生まれ順の違い……そんな「自分ではどうしようもないこと」を乗り越えて、娘も息子も、思う存分自分の人生を生きてほしい!

そう願って、これからも試行錯誤は続きます。

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