【古典は役立たず?】学習指導要領を読みました

『古文漢文よりも金融経済を学ぶべきではないか』と提言された衆議院議員がいらっしゃいました。

古典を学ぶ必要がないのか?なぜ文科省は古典を学ばせるのか?その答えを知るために、学習指導要領を読んでみましたので、記事にしたいと思います。

この記事を書いた人
まみ
  • 6歳女児・1歳男児の母
  • 時短で管理職経験あり
  • 夫が海外赴任のため完全ワンオペ中
  • 2024年春にタイに帯同予定
このページの内容

「学習指導要領」とはなにか

「学習指導要領」とは、なんでしょうか。以下に、文科省のリーフレットを引用しました。

全国どこの学校でも一定の教育水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。
およそ10年に一度、改訂しています。
子供たちの教科書や時間割は、これを基に作られています。

新学習指導要領リーフレットより

私たちが受けてきた授業は、すべて、この学習指導要領に沿って作られたものなのですね。

指導要領は、小・中・高と教育機関別に定められています。

今回は、高校の学習指導要領を参考にしました。「国語>第6 古典探究」に、古典についての記載があります。

古典を勉強するねらいは、「理解力」と「表現力」

古典を学ぶ狙いは、言葉による見方・考え方を働かせ、以下の資質・能力を育むことです。

  • 理解する
  • 表現する

ここまでは、通常の「国語」と何も変わらない気がします。では、なぜ古典なのか。

読み進めると、なぜ「理解力と表現力を、<古典から>学ぶのか」がわかってきます。

古典で何を伸ばすのか

古典を学ぶことで以下の能力を伸ばし、それが結果的に、理解力・表現力の成長に寄与するという構造でした。

言葉の響きやリズム

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

平家物語

日本語は「リズムの言語」と言われます。五七五七七を、なんとなく「読みやすい」と思ってしまいますよね。実際に声に出して読んでみると、口から勝手に言葉が出ていきそうです。

つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

徒然草

これは、徒然草。「日暮らし」という短い一文が入ることで、文章に緩急がつきます。

古典を読むことで、歌を歌うように「リズム」への理解を深められます。

子育て世帯は「リトミック」という単語を聞いたことがありますよね。

リトミックとは、音楽を通しリズム感や表現を体得するプログラムです。

ヒトはリズムに対して感受性が高いため、リズム感を身に着けることはコミュニケーションだけでなく、身体機能や集中力を養うとされています。

現代とは違う種類のリズム感や語彙を古典から学ぶことで、飽きさせずに人に読ませる文章・伝わる論説ができるようになるのではないでしょうか。

日本語の経年変化と文化への理解

ここで古文クイズ!(いきなり)

・あはれ
・あたらし

どんな意味でしょう?

正解は……

  1. あはれ:しみじみとした趣がある。
  2. あたらし:もったいない。惜しい。

でも、いま、こんな言葉は使わないですよね?

それは、流行だとか、文化的背景だとか、もしかしたら、外来語の到来で使わなくなったのかもしれません(「衣紋かけ」が「ハンガー」になったり、「厠」が「トイレ」になったり)。

また、日本語は、中国文化の影響を大きく受けています。古文を知ることで、歴史への興味の扉が開くことがあります。

まさに私はそのタイプでした。

古文漢文を習うまで「中国って遠い国だな」と思ってたのですが、「こんな昔から行き来があったのか!」と驚きました。それが、留学経験のない私にとって「世界ってひとつなんだな」と感じることとなったきっかけです。

言葉とは、文化であり、歴史だなぁ。

歴史と言えば。昔の価値観を知るのにも、古典が役立ちます。

たとえば、紀貫之の「土佐日記」

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

土佐日記

これはかなり衝撃を受けました。

若かりし私

昔の人って性別だけで文字すら違ったの!?

漢字を書ける人がごくわずかだったというのも、今からしたら考えられないことです。

翻って現在、日本のジェンダーギャップ指数は147か国中115位と低い順位になっています(内閣府より)。

1,000年経ってもそんなに変わらないと取るか。いや、大学進学率は上昇していると、好意的にとるか。

現代に起きている問題を古今で比較し思考を深めるためにも、古典の授業はあるべきだと、私は思います。

先人のものの見方(感性)

そして古典の授業が大切だと思う一番の理由は、「偉人の優れた思考を知ることができる」点にあると考えます。

春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。

夏は夜。
月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。

秋は夕暮れ。
夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。

枕草子

この文章を読んだ時、「清ちゃん、わっかる~~~!」と肩を抱き合いたい気持ちにかられました。……というのは嘘ですが、昔の人も今と同じことを考えてたんだな、くらいには思いました。

とくに、「冬はつとめて(早朝)」は、「やっと、共感してくれる人が現れた」と感激しました(ちなみに、次にそう思わせたのは高校時代に読んだ太宰治でした)。

冬の張りつめた、誰も起きていない、しんとした朝。清少納言は千年前の京都で、私はビルに囲まれた東京で、それぞれに早朝の空気を吸って、それが冬の中で一番好きだと、考えていたのでした。

四季の中でなにが一番好きか。その季節の、どんなところが好きか。それから常々探すことになった私の「四季ウォッチ」ともいうべき思考は、清少納言に影響されたのです。

優れた人物の類まれなる思考・感性は、いつの時代になっても廃れることはない。

だから、私たちは古典を学ぶのです。

海外に「古典」はあるのか

調べてみたところ、イタリアなどヨーロッパでは今でもラテン語の授業があるようです。世界のエリートが「ラテン語」を猛勉強する理由とは?――DIAMOND online)

中国でも漢文の授業があるようですね。You Tube「李姉妹ch」で紹介されてました。とてもわかりやすい…!

【結論】古文漢文もいいところあるよ

今回は、『古文漢文よりも金融経済を学ぶべきではないか』という一言から、学習指導要領を読み、海外の古語事情まで調べてみました。

書いていて思い出したのですが、古典への興味の第一歩は、百人一首でした。

子どもが生まれたら、毎年お正月に百人一首大会をやるんだぁ、という夢を抱いた中学時代……

そんな殊勝な子どもに育ってくれるかは謎ですが、親子で少しでも遠い昔の日本に思いを馳せられたらな、と思います。

まなびを学校まかせにしない。

それこそ、「金融経済については、ニュースを見るときに親子で話しをすればいいんじゃ?」と思い至った昼下がり。

みなさんは、古文漢文、好きですか? もし「苦手かも……」と思われた方は、絵本で読んでみるのもおすすめです。

著:清少納言, 編集:孝, 齋藤, イラスト:あきこ, たんじ
¥1,485 (2023/06/16 22:40時点 | Amazon調べ)

私もまだまだ初学者なので、一緒に学んでいけたらな、と思っています。

古典に限らず、学びはブログにまとめていきたいなぁ……。

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