美しい言葉だけでは生きていけないけれど

2人目は、なかなか授からなかった。2020年の夏、望んだ年齢差での出産が不可能になって、私は一人、焦っていた。

娘は、3歳になっていた。娘より小さい子を見るのが、つらかった。なるべく子どものいないところに行きたかった。でも、娘は、外で遊びたがる。公園に連れていく、そこは、子どもの牙城だった。

1人目不妊も相当につらいだろう、でも、2人目不妊だって、つらい。強制的に子どもの世界に身を置かなければいけない。見たくないものを、排除することは不可能だ。そして、小さい子は、かわいいのだ。

私はくらくらして、ベンチに腰掛けた。近くで小さな女の子を連れたお父さんが、話しかけている。私は反射的に、目をそらしてしまった。その幼さがまぶしかった。お父さんの声が聞こえる。

「これは、お・は・な。これは、あ・り。」

わーーーーー……そうだった、小さい子には、言葉を教えるんだよね。忘れてた、その感覚。

「あれは、そ・ら。く・も。あ・お。」

「い・ぬ。ね・こ。ちょう。はっぱ。」

「ぴんく。きいろ。あか。」

ああ、この子は――これから、美しい言葉だけを、教わっていくんだな。

私はそのとき、初めて親子を見た。暑くて外に出たくない気候のはずなのに、ニコニコ笑顔のお父さんの姿が、そこにあった。

中学生になりたての頃、父に、「なぜ大人は『嘘をついてはいけない』と教えるのか」と聞いた。当時、私は怒っていた。世に言う「正義マン」であった。

世の中は、嘘がつける人の方がうまくやってる。大人はそれを知っている。ではなぜ、大人は私たち子どもに『嘘をついてはいけない』と教育するのか。欺瞞じゃないか。

父は、蕎麦職人だ。大学卒業後、サラリーマンを少し経験して、祖父の蕎麦屋を継いだ。父は優しい人だった。うーん、と唸ってから、さらっと言った。

最初は、原則を教えるんじゃないか? そこから、嘘をつくかつかないかは、その人次第だぜ。

私はこの答えに納得しなかった。「ビジネスマンのお父さんだったら、もっとマトモな答えが返ってくるのかな」なんて考える程度には、(子どもらしく)残酷だった。だけど今は、その意味がよくわかる。

子どもには、美しいものに囲まれて生きてほしい。醜さを教えたい親なんて、いない。

2022年、私は幸運なことに、2人目を出産した。息子は1歳3か月になった。

どんどん言葉が増えていく。それが楽しくて、家族全員で彼に話しかける。

私が言う、「ありがとう」「ごめんなさい」

娘が言う、「おはよう!」「かわいいね!」

夫が言う、「これは、『あじさい』。」「これは、『さるすべり』。」

今のところ、彼の身の回りには、美しいものでいっぱいだ。

私はもう大人だから知っている、この世には嘘をつく人がいる。

でも、私はどうか? あの頃、欺瞞に憤慨した中学生だった私は、いま、嘘をつかない大人になっている。人付き合いに損得勘定をせず、友人を利用しようなんて考えもしない。

父は言った、「嘘をつくかつかないかは、その人次第だぜ」。私は、嘘をつかない大人になった。

世の中には、いろんな人がいる。いろんな処世術がある。でもどうか、これから先、娘と息子が美しいままに、気品を持って、人生を歩めますように。今の私はそう祈って、彼らに美しい言葉をかけ続ける。

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