『古文漢文よりも金融経済を学ぶべきではないか』と提言された衆議院議員がいらっしゃいました。
古典を学ぶ必要がないのか?なぜ文科省は古典を学ばせるのか?その答えを知るために、学習指導要領を読んでみましたので、記事にしたいと思います。
- 7歳・2歳の母
- 2024年春よりタイ在住
- 元大手企業勤務・時短で管理職経験あり
「学習指導要領」とはなにか
「学習指導要領」とは、なんでしょうか。以下に、文科省のリーフレットを引用しました。
全国どこの学校でも一定の教育水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。
新学習指導要領リーフレットより
およそ10年に一度、改訂しています。
子供たちの教科書や時間割は、これを基に作られています。
指導要領は、小・中・高と教育機関別に定められています。
今回は、高校の学習指導要領を参考にしました。「国語>第6 古典探究」に、古典についての記載があります。
古典を勉強するねらいは、「理解力」と「表現力」
古典を学ぶ狙いは、言葉による見方・考え方を働かせ、以下の資質・能力を育むことです。
- 理解する
- 表現する
ここまでは、通常の「国語」と何も変わらない気がします。では、なぜ古典なのか。
読み進めると、なぜ「理解力と表現力を、<古典から>学ぶのか」がわかってきます。
古典で何を伸ばすのか
古典を学ぶことで以下の能力を伸ばし、それが結果的に、理解力・表現力の成長に寄与するという構造でした。
言葉の響きやリズム
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
平家物語
日本語は「リズムの言語」と言われます。五七五七七を、なんとなく「読みやすい」と思ってしまいますよね。実際に声に出して読んでみると、口から勝手に言葉が出ていきそうです。
つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
徒然草
これは、徒然草。「日暮らし」という短い一文が入ることで、文章に緩急がつきます。
古典を読むことで、歌を歌うように「リズム」への理解を深められます。
子育て世帯は「リトミック」という単語を聞いたことがありますよね。
リトミックとは、音楽を通しリズム感や表現を体得するプログラムです。
現代とは違う種類のリズム感や語彙を古典から学ぶことで、飽きさせずに人に読ませる文章・伝わる論説ができるようになるのではないでしょうか。
日本語の経年変化と文化への理解
ここで古文クイズ!(いきなり)
・あはれ
・あたらし
どんな意味でしょう?
正解は……
- あはれ:しみじみとした趣がある。
- あたらし:もったいない。惜しい。
でも、いま、こんな言葉は使わないですよね?
それは、流行だとか、文化的背景だとか、もしかしたら、外来語の到来で使わなくなったのかもしれません(「衣紋かけ」が「ハンガー」になったり、「厠」が「トイレ」になったり)。
また、日本語は、中国文化の影響を大きく受けています。古文を知ることで、歴史への興味の扉が開くことがあります。
まさに私はそのタイプでした。
古文漢文を習うまで「中国って遠い国だな」と思ってたのですが、「こんな昔から行き来があったのか!」と驚きました。それが、留学経験のない私にとって「世界ってひとつなんだな」と感じることとなったきっかけです。
言葉とは、文化であり、歴史だなぁ。
歴史と言えば。昔の価値観を知るのにも、古典が役立ちます。
たとえば、紀貫之の「土佐日記」。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
土佐日記
これはかなり衝撃を受けました。
昔の人って性別だけで文字すら違ったの!?
漢字を書ける人がごくわずかだったというのも、今からしたら考えられないことです。
翻って現在、日本のジェンダーギャップ指数は147か国中115位と低い順位になっています(内閣府より)。
1,000年経ってもそんなに変わらないと取るか。いや、大学進学率は上昇していると、好意的にとるか。
現代に起きている問題を古今で比較し思考を深めるためにも、古典の授業はあるべきだと、私は思います。
先人のものの見方(感性)
そして古典の授業が大切だと思う一番の理由は、「偉人の優れた思考を知ることができる」点にあると考えます。
春はあけぼの。
やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。夏は夜。
月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。秋は夕暮れ。
夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。冬はつとめて。
枕草子
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。
この文章を読んだ時、「清ちゃん、わっかる~~~!」と肩を抱き合いたい気持ちにかられました。……というのは嘘ですが、昔の人も今と同じことを考えてたんだな、くらいには思いました。
とくに、「冬はつとめて(早朝)」は、「やっと、共感してくれる人が現れた」と感激しました(ちなみに、次にそう思わせたのは高校時代に読んだ太宰治でした)。
冬の張りつめた、誰も起きていない、しんとした朝。清少納言は千年前の京都で、私はビルに囲まれた東京で、それぞれに早朝の空気を吸って、それが冬の中で一番好きだと、考えていたのでした。
四季の中でなにが一番好きか。その季節の、どんなところが好きか。それから常々探すことになった私の「四季ウォッチ」ともいうべき思考は、清少納言に影響されたのです。
優れた人物の類まれなる思考・感性は、いつの時代になっても廃れることはない。
だから、私たちは古典を学ぶのです。
海外に「古典」はあるのか
調べてみたところ、イタリアなどヨーロッパでは今でもラテン語の授業があるようです。(世界のエリートが「ラテン語」を猛勉強する理由とは?――DIAMOND online)
中国でも漢文の授業があるようですね。You Tube「李姉妹ch」で紹介されてました。とてもわかりやすい…!
【結論】古文漢文もいいところあるよ
今回は、『古文漢文よりも金融経済を学ぶべきではないか』という一言から、学習指導要領を読み、海外の古語事情まで調べてみました。
書いていて思い出したのですが、古典への興味の第一歩は、百人一首でした。
子どもが生まれたら、毎年お正月に百人一首大会をやるんだぁ、という夢を抱いた中学時代……
そんな殊勝な子どもに育ってくれるかは謎ですが、親子で少しでも遠い昔の日本に思いを馳せられたらな、と思います。
まなびを学校まかせにしない。
それこそ、「金融経済については、ニュースを見るときに親子で話しをすればいいんじゃ?」と思い至った昼下がり。
みなさんは、古文漢文、好きですか? もし「苦手かも……」と思われた方は、絵本で読んでみるのもおすすめです。
私もまだまだ初学者なので、一緒に学んでいけたらな、と思っています。
古典に限らず、学びはブログにまとめていきたいなぁ……。