「あいつと仕事、したくない」。観音菩薩のような私をしてそう言わしめるK氏は、職場の爆弾であることがわかった。彼が参加する会議は、ことごとくお通夜会場になるのだ。それでも哀しきかなサラリーマン、嫌なヤツとも仕事を進めていかなければならない。私は、過去に読んだ4冊に、そのヒントを求めた。
前編はこちら
【1冊目】それは「心理的安全性」が損なわれているからでは?
とにかく、会議の場で誰も発言できないのはマズいです。
「自分が発言してもなにも変わらない、むしろ責められるくらいなら、黙っておこう」という空気が醸成されてしまっている証拠です。
現状で満足できないのに、黙るというアクションを取ってしまうのは、その場の心理的安全性が低いからなのです。
たしか、『心理的安全性のつくりかた』(石井 遼介:著)にヒントがあったはず。私は読書ノートを開きました。
ひとことでいうと「メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的で良い仕事をすることに力を注げるチーム・職場」のこと。
引用:『心理的安全性のつくりかた』(石井 遼介:著)
心理的に「安全ではない」と感じるのは、自分が「無知・無能・邪魔・否定的」と捉えられるリスクがある時です。
K氏が「そうじゃない」「みんなおかしい」と言うたびに、自信がそがれて、
- 自分の意見は違うのかもしれない
- 自分の考えは至っていないのかもしれない
そんな風に思ってしまう気持ちが、私にはわかります。
仕事が進まないだけじゃなく、チームメンバーが「自分はおかしいのかも」とさえ思ってしまいそうな危険がある。早急に何とかしなければ……。
では、「心理的に安全だ」と感じられるのは、どんな時か。この本では、日本人の場合、以下が重要だと述べています。
- 話しやすさ
- 助け合い
- 挑戦
- 新奇歓迎(新しい・奇抜なことを歓迎すること)
少なくとも私は、これらを持っていよう。委縮しているメンバーはもちろん、K氏に対しても、このマインドは持っておこう、と考えました。
誰に対しても、オープンマインドに。
それでもやっぱり、否定はこわいし、屁理屈こねられるのは面倒くさい。
もう少し、K氏と対等に会話できる勇気が欲しい。
【2冊目】K氏の態度の半分は、我々にも原因があるかもしれない
人は変えられない。我々は、物心ついた時点から、それをいやというほど叩き込まれてきました。
いや、「叩き込まれてきた」というより、「言い聞かせてきた」の方が正しいです。他者は変えられない、だから、仕方ないよね。自分が変わるしかないよね、と。
その考えを改めさせてくれたのが、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』(平野 啓一郎:著)という本です。
この本の趣旨は、分人主義のサイトに端的にまとめられています。
「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。
引用:『私とは何か――「個人」から「分人」へ』(平野 啓一郎:著)
私も著者の平野さんと同じく、高校時代の友人に馴染めず、高校時代と大学時代の自分が「違う」のでは、と苦悩したタイプでした。
その一方で、体育祭や文化祭を楽しむ自分もいたので、高校時代の友人は「わたし(まみ)も高校生活を十分に楽しんでた」と見ていたと思います。
どれも、本当の自分です。分人は、コミュニティに合わせて現れる。違ったコミュニティで意思疎通をとるのだから、相手ごとに分人を特化させることは自然なことなのです。
ここで重要なのは、「分人は他者がいてはじめて成り立つ」ということ。たとえばこのブログを書いている時の私の分人は、半分は私で、半分はあなたなのです。
そこで私は、あるアイディアが浮かびました。
K氏が我々に示す態度(=我々向けの分人)は、我々がとる態度によって変えられるんじゃないかな?
この仮定を基に、私たちがどの段階でK氏にアプローチできそうか分解してみます。
K氏が意見を持つこと自体は、私たちは介入できません。K氏が「ちがうな」「否定したい」と思う気持ちは変えられない。
でも、我々が発言するところからは、介入が可能なのかもしれない。
私たちがK氏に向き合う分人を変えれば、K氏の私たち向けの分人も変わるのかもしれない。
これは、目から鱗でした。私は、K氏は勝手に攻撃的になると思い込んでいたのです。
そういう人だから、変えられない。降りかかる火の粉を払いのけるしかない。K氏が不機嫌になっても知った事じゃない、と。
しかし、K氏の態度は、私たちの働きかけで変えられるのかもしれない。K氏が不機嫌になったとしても、そこで会議の結論をうやむやにしてしまうのではなく、最後まで導くことはできるのかもしれない。
私が伝える意見の要素はそのままに、議論の持っていき方や口調やK氏の発言を傾聴する姿勢を、まずは私から変えてみよう…!
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【3冊目】ゴールは「ねじ伏せる」ではなく「アサーティブな態度を取る」こと
では、どうしたら私の態度を変えられるか。それは、『アサーティブ・コミュニケーション』(戸田 久実 :著)に答えがありました。
お互いの主張や立場を大切にした自己表現のこと。
引用:『アサーティブ・コミュニケーション』(戸田 久実 :著)
アサーティブな自己表現をするためには、以下の要素が必要になります。
「対等」なコミュニケーションをとる
相手をコントロールしないこと・過度な謙遜をしないこと、両方を指します。
必要以上に横柄になったり、へりくだったりしないこと。社長であれ後輩であれ、「対等に」意見を伝えることを目的としています。
後者はいいことでは? と思ってしまいがちですが、伝えたいことより、オドオドした態度が記憶に残ってしまうので得策ではありません。
信頼する
ここでいう「信頼」のベクトルは二種類あります。
- 自分を信頼する
わたしは、相手にわかるように伝えられる - 相手を信頼する
この人は、耳を傾けてくれる。
信頼「される」のではなく、「する」のです。
たとえ相手が反対意見を持っていたとしても、「この人は、私の話を聴いてくれる」と信じて自分の意見を述べるのです。
傾聴する
「傾聴」という言葉は知っていたし、自分はできていると思っていました。
でも私のそれは、「聴く姿勢」だけだった。相槌・うなづきをして、相手が話したいことを話させるだけのものでした。
これは本来の傾聴の力ではないのかも、と本文を読んでいて自分が疑わしくなったのです。
まず、この本では、「同意できなくても理解すること」を「傾聴」と呼んでいます。
「相手の背景や事情、意図を理解した後に自分の意見を述べる」、言葉にすれば簡単そうですが、その具体例となる以下の声掛けを、私はできていないことがわかりました。
●●さんは、このようにお考えですか?
どうしてそう考えたのか、聴いてもいいですか?
そしてようやく、今までの私の傾聴ではまだ甘い、と気がついたのです。
きっと本当の「傾聴」の先には、相手に話させる・理解を促すこともできるのです。
ゴール設定を変える
今までの会議のゴールといえば「合意形成」「ネクストアクション」の確認でした。
誰がなんの役割を担って、次にどんな仕事をすればいいのか理解できていること。
アサーティブ・コミュニケーションにおいては、ゴールはそこに置きません。終着点は、「アサーティブに伝えること」。丸く収めることではないのです。
え、「NO」と言ってもよいの…!?
会議をするからには何か収穫がなければならぬ、そんな強迫観念に駆られていた私は、とにかく、違和感があってもその場の総意をまとめることに主軸を置いてきました。
でも、アサーティブ・コミュニケーションにおいては、「私は、自分が伝えたいことをアサーティブに伝えられた」をゴールにして良いのです。
思えば、過剰にへりくだる態度の裏側には、相手にバカにされたくない気持ちがあったのかも。
さらにありがたいことに、この本には、相手のタイプ別にこちらがとれる対応策が書かれています。
その中の一節、「攻撃的な相手の場合」において、どうしたら自分がアサーティブでい続けられるか記載されておりました。
- 「事実」と「主観」に分ける
- 自分の主張を繰り返し伝える
- 時間をおいて冷静に尋ねる
- 相手を理解する
- 戦闘態勢にならない
そして具体的には、以下のトークスクリプトが有効とのこと。
〇〇さんにも言い分がありますね。
私は●●と思っている、ということです。
このような切り返しをされると、対話にならないと感じてしまいます。一度「そっか」という受け止め方をしてもらえると、こちらも〇〇さんの話を受け止めやすくなるのですが、いかがでしょうか?
相手の立場や考えに理解を示しつつ、度を越していると感じた時にはそれを相手に伝えるという、「対等な」コミュニケーション術は、私にはないものだったので、大変勉強になりました。
次は、私個人のトークスクリプトだけではなく、会議の場を回すコツが知りたいな…!
【4冊目】ファシリテーションで会議は変わる
私は(手前味噌で恐縮ですが)人前での話が苦手ではないと思っています。
だから、ファシリテーターとしてもそこそこ自信があった。でもそれは、私だけの力ではなく、会議に参加していた人が「良い人」で、「双方のゴールが明確」だったからなのでした。
3冊目の『アサーティブ・コミュニケーション』で、私個人のゴールとしては「アサーティブに意見を交わす」で良しとすることを学びました。
しかし、それでは仕事は進みません。会議におけるゴールはやはり合意形成です。
攻撃的な言葉を放つK氏がいる会議で、いかにそれを成すか。私は、ABEMA Primeの名物司会者・平石 直之さんによる著書『超ファシリテーション力』(著:平石 直之)を読み返しました。
ABEMA Primeといえば、舌鋒鋭い論客の侃々諤々(かんかんがくがく)な議論が名物で、一視聴者の私はいつも、
うわぁ……平石さんすごい、メンタルタフネス……!
とファシリテーターの平石さんに密かに尊敬のまなざしを送っておりました。
そこには、お人柄や才能だけではない、確立したテクニックがあったのです。
- 話したい人の口封じは逆効果。先に話させる。
- 厳しい言葉、ネガティブな言葉を、優しく言い換える。
- 脱線話の単語ひとつを拾って、議論を戻す。
場の主導権はファシリテーターが握る。強い気持ちで会議を進行しなければ。
カードは出そろった。私は何を、いつ出すか。
さて、ここまででカードは出そろいました。今までの4冊をまとめると、以下の3点に集約されます。
- 対等な立場で
- 相手への理解を示しながら
- 自分の主張はしっかりとする
しかし、語り口だけで態度を軟化させるK氏ではないだろうな……
K氏は攻撃的であると同時に、屁理屈の達人でもあるのです。
屁理屈とは、理屈が理屈を呼んで、K氏の本意から遠ざけるもの。K氏は、自分の立場を悪くしてまで、自分の意見に固執してしまう。この時、K氏は我々の意見はちっとも聞いていません。
どうしたら、K氏に聞いてもらえるだろう。わかってもらわなくてもいい、私の意見がK氏の再考を促すには、どうしたらいいのだろう。
そしてまた【1冊目】「役に立つ」を基準にして行動変容を促す
私は、K氏の「屁理屈」に着目しました。
みなさんは課題解決したくないんですか。
自分はこれが絶対に必要だと思います。
この極端な発言は、「自分の考えが絶対」というK氏の意見への執着が引き起こしています。
聞く耳を持たない人の行動を、どうしたら変えられるだろうか。ここで私は、改めて1冊目の『心理的安全性のつくりかた』に立ち返りました。
そもそも心理的安全性が保たれる4因子(話しやすさ、助け合い、挑戦、新奇歓迎)は行動の結果もたらされるものです。
「行動」を起こす際はそれが「役に立つか」という視点を取り入れると、自分を俯瞰し、心理的に柔軟になれます。
私は、K氏に問いました。
Kさんの考えるアウトプットは、現場の役に立ちますか。
ここでようやく彼は、少し口を紡ぎました。二の句を考えているようで、とりあえずの抗弁をしています。
私は、半ば祈るように続けました。これでだめなら、もう、為すすべなし。
アウトプットが形骸化してしまってはもったいない。我々の仕事は、使ってもらえて初めて価値を発揮します。これはほんとうに、現場の役に立ちますか。
~後日談~ やっぱり少しは「強引さ」が必要なのかも
その日、私は黙々と作業をしていました。先ほどの少人数MTGで、役割分担した作業をこなします。
これが終わった後は、あの作業をして。その前に、この人に話し通しておくか。
本件に関して、ようやく流れができたような気がします。この作業が終わったら、前日作っておいた水出しコーヒーを入れよう。私はまた、キーボードをたたき始めました。
あの、私が「このアウトプットは役に立つか」と問うた会議は、紛糾もいいところで、結局、最後は私が「これでいきます、いいですね」と、説き伏せた形で終着しました。
会議では、K氏は、変わらなかった。私の分人は、K氏の分人に介入できなかった。
K氏は、私の話と場の雰囲気に気圧されて、「自分はみなさんと感覚が違うみたいなんで、それでいいです」と言うだけでした。
しかし、その後、K氏は私たちが作った仕事の流れに乗って、一緒に進めてくれました。まだ完璧なる合意はできていませんが、それなりに、最低限のゴールはぶれることなく進捗しています。
あの会議のとき、私は、以下の記事のひとことを思い出していました。
まみさん、もっと強引に進めていいと思いますよ。
そう言われたとき、私は反発しました。
でも、私にはカルチャーショックだった。許容できるなら、他者の気持ちを優先したいと考えていた私には、それは受け入れがたいことのように思えました。
だけど、頭ではやっぱり、わかっていたのです。
遂行することが私たちのゴール。であれば、なにも終わらないより、多少強引だろうが「終わる」方に価値があるのです。だから、そんなに遠慮することないよ、ということも。
私はもしかしたら、ようやく「本気になった」のかもしれない。資本主義の外側にいた育休期間、よくいえば「人情味あふれ、優し」く、悪く言えば「責任感のない」私だったのが、また、むりやり資本主義の渦に引き寄せられて、「達成せねば、無意味」という思考になったのかもしれない。
それは、大変にプロフェッショナルで、同時に、さみしい。
わたしの「正義」ってなんだ。お金を稼ぐことと、わたしの「正義」は、両立し得ないのか?
新たな疑問が沸き上がります。なんとなくだけど、それは、ちがう。
私は、仕事のために生きてるんじゃない。生きるために仕事をしている、そして「生きる」とは、品格を持つこと。自分を誇りに思うこと。
まさしく、過去のわたしのおっしゃるとおり。だから、両立させなければならない。わたしの「正義」と、資本主義での身の処し方を。
ご紹介した本一覧
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
最後に復習を兼ねて、参考にした本をご紹介いたします。
【1冊目】心理的安全性のつくりかた
日本の人事部「HRアワード2021」書籍部門 優秀賞を受賞した本作。
「なんだか士気が低い」「チームに協調性がない」そう感じた時にぜひおすすめしたい。
いま話題の「心理的安全性」について丁寧に解説した一冊。
【2冊目】私とは何か――「個人」から「分人」へ
「個人」とは「individual」=「もう分けられないもの」を日本語訳したものだ。
確かに私たちの体は不可分だけど、精神は? 両親、恋人、友人、職場……それぞれに違う顔のある私は、「分人」の集合体なのだ。
【3冊目】アサーティブ・コミュニケーション
近年、パワハラ防止や心理的安全性のある職場を実現する方法として注目されているという「アサーティブ・コミュニケーション」。
「アサーティブネス」とは、自己主張すること。ここでは、お互いの主張や立場を尊重しながら自己表現することを指します。
これは、職場はもちろん、夫婦の話し合いにも応用できると身をもって経験済み。
コミュニケーションを営むすべての方へ。
【4冊目】超ファシリテーション力
「ファシリテーション」とは、会議や議論を円滑に進める技術のことで、ファシリテーターは通常、議論には参加せず、その場をゴールに向かわせることに注力します。
その技術を、Q&A方式で学べる一冊。平石さんが実際に使っているキラーワードが余すことなく紹介されています。
だいたいこの手のビジネス本は、抽象的な概念を伝えるにとどまるものも多いのですが、本作は明日から使えるテクニックが満載。こんなに教えてもらっていいの!?と心配になるレベルで具体例がてんこ盛りでした。
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