この本と出会えたことで、わたしの文章は、もっともっと、太くなる。そう確信させてくれたバイブルをご紹介します。
このご紹介文を書くのも、緊張する。おこがましいと感じる。それでも、みなさまに読んでいただきたくてたまらない。文章を書くひとの、希望だと思っています。
「もうちょっと、うまく書けたら」。そうお考えのブロガーさんへ、ぜひに。
- 朝日新聞の名文記者による文章本
- 誰でもすぐできる25のテクニック
- 「わたしだけ」の文章が見つかる
- 2023年5月育休復帰
- 子は6歳児・1歳児クラス
- 時短・フルリモート正社員
- 夫激務のためワンオペ
わたしに<なる>ための文章本
著者の近藤康太郎さんは、朝日新聞の記者で文筆家をされながら、九州で農業・猟師をされているというハチャメチャなお方。元々ご実家がそちらに?と思いきや、なんと生まれは東京とのことです。
さて、字面だけで大変に骨太・ハードボイルドな印象を受ける近藤さん。文章を書くための技術やそのための努力を丁寧に綴ってくださっています。
もしかしたら、「こんなこと、私にはできない」と感じる方もいらっしゃるかもしれない。でも私は逆で、「ここまでしたら、こんなに素敵な文章が書けるようになるのか」と希望を抱きました。
「書く」ということ
「書く」とは、表現することだと近藤さんは述べます。
聞くと当たり前ですが、私のようなアマチュアは「書き散らかす」と称した方が合っていて、それこそ自分の文章は「チラシの裏」「便所の落書き」だと思っていたので、驚きです。
いや、すみません。私は少し、逃げました。自分のことを「アマチュア」と書きましたが、近藤さんは「プロのライター」を以下に定義します。
(プロのライターとはなにか、という問いに)わずかでもカネをもらっているなら、ブロガーやインスタグラマーもそうでしょうね。
p.18
広告や物販アフィリエイトで、スタバのフラペチーノ1杯分はおカネをいただいている身でございます。
ここでは私も「プロ」という気持ちで読みすすめさせていただきました。
身の引き締まる思いだね。
ライターを構成する4つの要素
この本では、近藤さんが猟師であることから、「猟の初心者が鴨を一羽獲るのに25発かかる」逸話にちなんで、25発の文章術で構成されています。
その25発を黄色の付箋で表し、意図するところ、中身をそれぞれ書き出したのがそのほかの色です。
すると、ライターを構成する4つの要素が見えてきました。
- テクニック
- マインド
- 思考力
- 行動力(努力)
それぞれ密接に連携しているものなので、どれか一つだけ秀でいていても、心に響く文章は形成されません。
私は「テクニック」と「マインド」、この2分野を成すために「思考力」「行動力」が必要だと解しましたが、詳しくはぜひ本を手に取ってご覧いただきたいです。
小手先ではない、本物のテクニック
新聞記者直伝のテクニック。とても具体的です。
- 書き出しでつかむ
- 常套句・オノマトペは使わない
- 省略し、短文にする
- 起承転結では「転」を重点的に
- 説明ではなくエピソードで語る
なぜこれらが重要か。それは、「わたしだけの文章を書く」「グルーヴ感」がキーワードになってきます。
「わたしだけの文章」、書けるようになりたい…!
それには、次の「感性 × ライターの四つ道具」が必要です。
「わたしだけ」を書くために
わたしにしか、書けないもの。それは<感情>です。(中略)わたしだけの、喜怒哀楽です。
p.168
この、「わたしだけの感情」を書くにはどうしたらいいか。それは、2つの要素に分解できます。
感性――世の中の切り取り方を学ぶ
この本では明確に「感性」という言い方はしていませんが、私はこの、世の中の切り取り方・受け取り方を「感性」と呼んでいるので、本項目ではこの呼称で進めさせていただきます。
「常套句を使わない」「エピソードで表現」「起承転結の「転」をつくる」これらは畢竟、「世の中を自分の感性で切る取ること」の成果物です。
卵が先か鶏が先か、かもしれませんが…!
世の中で発生していることは、たいてい、誰かがもう書いています。それは新聞だったり、企業だったり。私たちのような個人で活動するブロガー・ライターは、先発記事に対抗するのは難しいです。
では、後続ライターとして、なにを書くか。「わたしにしか書けないもの」を書くしかないのです。
わたしが切り取った世界をつなぐこと。どう世界を切り取るか?
それは、感性を鍛えると見えてきます。感性の鍛え方は、後ほどご紹介します。
四つ道具――道具箱に入れておくもの
ライターの道具箱は、以下の4つで構成されています。
語彙
商売道具なので、とにかく増やすこと。
増やすためには、逆に制限する。常套句をはじめ、「〇〇的」形容詞を書かないと決める。そうすると、どうにか言葉を搔き集めてそれらを表現しようとする。その時、語彙が増えると近藤さんは述べています。
ここで役に立つのが辞書です。私も類語辞典を持っています。
個人的にはこれが索引しやすくオススメ
文体
文体。流儀。くせ。ルーティン。約束。品格。つまり、生きかた。スタイルのない人間は、みじめです。
p.157
「だれかがライターになるとは、その人ならではのスタイル=文体を確立すること」だと言います。
私はいまいち、「文体」の輪郭をつかめていません。4つ目の道具「ナラティブ」との差別化ができていない。でも、ぼんやりと考えているのは、まさに「生き方」「仕事の仕方」のことかな、と、今はそう捉えています。
では、スタイルを身に着けるためにはどうするか。それは、主語・主題・主義・主張を変えてみることです。
今までの自分ではない自分を発見すること。「わたしで<ある>から、わたしに<なる>へ」。
もっとよく、生きてみよう。それが文体に表れるはず。
企画
今まで「企画」というと、すでに経験を積んだ玄人がライフワークとして取り組むもの、という認識でした。私なんぞの「企画」は、誰が読みたいのか、と。
しかし、それでは私が書く理由がなくなってしまう。いや、待てよ。そもそも、私が書く理由って?
わたしにしか、書けないもの。それは<感情>です。
p.168
この文章を読んだとき、すとんと腑に落ちました。
偉くなくたっていい。輝かしい経歴がなくたっていい。私だけの感情を書く、繋げる。それが「企画」です。
企画といえば、近藤さんは「表現者は「ワーク・イズ・ライフ」であれ」と説いています。これで思い出したのは、私が入社したばかりの頃、当時の上司が常に語っていたことば。
企画者に休みはない。いつだってアンテナを張って、サービスの種を探している。
入社した当初の私は「前時代的~」と小ばかにしていましたが、今ならわかります。なぜなら私もいつも、企画のことを考えている。ニュースで、CMで、チラシで、コンビニで、保育園で、子どもとの会話で。あ、これ不便だな、と思ったことを、すぐにメモする。
これが、私の本業における企画の種です。なにが不便なのかを言語化し、抽象化できたら自分の仕事に落とし込む。
おそらく、「文章を書く」ということも、同じ営みなのでしょう。
ナラティブ
恥ずかしながら、初めて聞いた単語でありました。「ナラティブ」とは、語り口のこと。
ストーリー(物語)は有限だが、ナラティブ(語り口)は無限だ。
p.191
これは大変に希望のある一文です。なぜなら、私には、ストーリーを紡ぐ才能がない。経験したことでしか語れないし、その経験でさえ、平凡に育ってきた私には武器になる出来事がない。
だけど、世の中にある物語を、私流に語ることはできるかもしれない。それは、努力で身につくかもしれない。本項を、そう解釈しました。
才能はなくても、努力だけならできそうな気がする
そう考えるのは、私がポジティブ人間だからでしょうか。
どうしたら書けるようになる? 努力と行動がカギ
さて、上述の通り、本書では才能によらない、努力で身につけるテクニックが掲載されています。そして親切なことに、どうしたらそのテクニックを会得できるかも解説されているのです。
今回は特に、3つに絞ってご紹介します。
感性を鍛える
「感性」を辞書で引いてみましょう。
つまり、感性は自分の中に最初から備わっていたものではなく、外界からの刺激によってはじめて発動されます。としたら、それを鍛えるためには、徹底的にインプットを増やすしかない。
では、どのように増やすか。「すべての表現をおもしろがる」ことだと、著者は述べます。
ライターとは表現者である。表現者である以上、小説やノンフィクションだけではない、映画、音楽、演劇、絵画と、すべての「表現形式」を好きにならなければだめだ。好きにならないまでも、「関心がない」とはプロの言葉ではない。
p.45
この主張は、何度も言葉を変えて本文に表れます。
すべてを好きになれとは言わない。そんなこと、できるわけがない。しかし「ここが魅力なんだろうな」と、了解できるところまでは、いける。
p.110
一年ぐらいでいい、いままでスルーしていたものばかり、集中して聴いてみる。見てみる。読んでみる。
p.161
それくらい、著者の私塾で口を酸っぱくして(これも常套表現ですね汗)塾生に伝えていることなんだろうなぁと思います。実際、私も胸に刺さりまくりました。
たとえば、私は流行にうとい。現代のJ-POPも洋楽も聴かない。ティックトックやオンラインゲームもしない。NFTもよくわからん。実は、映画も苦手。2時間半がもったいなく感じてしまう。
でもそれは、逃げなのです。興味が持てない表現から逃げている。書く人は、それではいけない。表現者であれば、すべての表現に、とにかく一度は浸かってみろと。
これは、引き出しを増やすためにも必要な努力だと思います。凝り固まってしまった世の中の見方を、新たな刺激によって崩す。そうしてまた、建設する。その過程において興味の有無は必要ないのだと思います。とにかく一度、飛び込んでみる。
読む
前項と関連しますが、興味のないものでも読んでみるというのが、鍛え方の2点目です。
著者は時間にして2時間、毎日欠かさずに読むことを塾生に課しているとのこと。
では、この「課題図書」とは何か? それは、以下の四点です。
- 日本文学
- 海外文学
- 自然科学・社会科学
- 詩集
気に入った文章は「抜き書き帳」に書き留めておくことをオススメしています。
ちなみに私も、持っています、抜き書き帳。(来るべき、万年筆を購入する日に備えて)万年筆のインクが裏抜けしない、ちょっと良いノートを買いました。
痺れたフレーズをいつでも読み返せて最高だよ
書く
創作の女神は、必ず、訪れます。(中略)わかりやすくいえば、<習慣化>させるということです。
p.249
そんなことはわかってるよ、と言われそうですが、この<習慣化>は以下の環境を用意することを前提としています。
- ドアを閉める
- 誰も入れない
- 新聞も雑誌も入れない
- ネットも切断
これは、なかなか難しい。私のように人の親をしている者は、必ず誰かが傍にいるものです。
そうしたら、私に書く権利なんてないのかな。なんて思っていたら、この説明の後に、
では、どこが理想的な書き部屋でしょうか。そりゃもう、台所に決まっています。(中略)台所で書く、つまり、生活の言葉で書いている。汗が、書いている。
p.250
そうなのです。お高くとまっていてはいけない。特に私なんかは、富裕層でも高学歴でもなんでもない、しがないサラリーマンです。だからみんなの気持ちが、わかる。
私の好きな小説に、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』があります。これはピアノコンクールを舞台とした作品ですが、コンテスタントの一人、妻子持ちの楽器店勤務の青年は「自分は【生活者の音楽】をしている」と語っていました。
それなら私のは、「生活者の文章」だ。それを書くんだ。
一生懸命に生きる生活者として、世の中を切り取っていく。
今は、そんな気持ちで文章を書いています。
編集者のLilyさんのtwitterを拝見すると、やはり、「常套句を書かない」という部分に反響があったようです。そうして、以下の記事をご紹介くださいました。
常套句を捨てるな――馬に喰わせるほど書く、まずはそこから(朝日新聞)
「量が質を凌駕する」。これはアダム・グラントの『ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』でも述べられています。
一般に、質と量は両立できないもの、つまり、よりよい仕事をしたければ、よりシンプルに、最小限の仕事しかしてはいけないものと考えられがちだが、これはどうやら間違っていたようだ。
それどころか、アイデアの創出に関していえば、大量生産が質を高めるためのもっとも確実な道なのである。
ベートーヴェンは、多くの傑作を世に残していますが、それは400を超える作曲数のほんの一部です。「ドイツ三大B」と称されるベートーヴェンですら、「傑作のみを作曲する」ことはできなかった。
だから、まずは、書くこと。その中に常套句があったっていい、気にしない。書いて書いて、その中にキラリと光る鉱物があれば、磨いていく。
ちなみに、この感想文は、なるべく常套句を使わず書いています
難しいです、すごく。でも、楽しい。
ちなみに、Amazon audibleの聴き放題対象なので、ご興味あれば聴いてみてください。30日間無料体験で聴けます。
『ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』をAmazonで見る
「いいね」と言われて、心から「ありがとう」と言えるように
小説を、読もう
twitterをはじめて、ありがたいことに「文章が好き」と言っていただけたことが何度かありました。
でも、私はそのたび申し訳なく思っていました。今の自分に自信がないからです。
特別に文章の勉強をしたこともない。ライターやブロガーとして実績がある訳でもない。
それが、この本を手に取ったきっかけでもあります。
育休中に読書を再開し、ブログを始めてから、貪るようにビジネス書や新書ばかりを読んでいました。過去の自分の穴を埋めたかったのでしょう。
もっと論理的に、新しい着眼点で語れるように。そうでないと、誰にも読んでもらえない。その焦りが、いつでもそばにありました。
だから、小説を読んでいる時間がない。母になった私が、いまさら物語を取り込む必要なんて、ない。
「莞爾として」「異にする」「謂いである」も、太宰や鴎外に耽溺して身にこびりついた語彙である。
p151
ああ――なんだか、急に、悪い夢から覚めたようでした。そうだった。美しい言い回しを何度も繰り返して、ページを行き来して、読みふけって、ドキドキした日々が、あった。
私はかつて、文学少女でありました。高校時代は太宰も三島も擦り切れるまで読んだものです。そうして15年以上経って、母となった私は、すっかり小説からは離れたところで生活してしまっています。
あんなに読んだのに、物語もうろ覚えな自分。物覚えが悪いのか、それとも私にとって「忘れる程度」のものだったのか。そんな自分にも、嫌気がさしていました。
でも、彼らの文章は血肉となっているのが、近藤さんの本を読んでわかりました。ふとした時に、出るのです。そうしてまた彼らの小説を読むと、それはもう、くらくらする。
主人公の心情が、この文章になるのか。私が読み取れたのは、単純な単語だけ。なんて素晴らしい、敬服するしかない。その経験が、また私の書く力になる。
だから、「小説なんて読むだけ無駄」じゃないんだ。「今すぐ使える知識」だけが至高じゃないんだ。二足の草鞋を履くのなら、これから先、書いて生きたいなら、ビジネス書だけではなく、小説も読もう。
あなたの感情を、聞きたい
私がいま一番気を遣い・苦悩しているのが「常套句を使わない」こと。
そのために「エピソードで語る」「事実を重ねる」のだと理解しているのですが、これが想像以上に難しい。
「あ、なんかモヤモヤする」この気持ちをなんて表現したら。
「子どもたちがかわいい、しあわせ」この美しさに臨場感を持たせるには、どうしたら。
ぼんやり生きていたら、「どこがモヤモヤするのか」「なにに幸せを感じたか」を見逃してしまう。これをしっかり掴み取りたい。
さて、ヘミングウェイの小説は「ハードボイルド」と称されます。特にノーベル賞受賞作品である『老人と海』は、徹底的に主観を排除した文体が新鮮でした。
彼は、場面を書いた。場面しか書いてないのに、私に以下の感想を抱かせました。
人間は、恥ずかしても、悲しくても、命ある限り生きていかなきゃいけない、そう思わないと生きていけない。
私も、私の「嬉しかった」「悲しかった」ではなく、あなたの「嬉しい」「悲しい」を引き出せるような文章を、書けるようになりたい。
そうして、「あなたの文章、いいね」と言われたら、自信をもって「ありがとうございます」と言えるように、「わたしで<ある>からわたしに<なる>」へ、これからも精進を重ねていく所存です。
ぜひ、読んでみてください
ここまでお読みくださいましてありがとうございました。この本のエッセンスを伝えたいと思ったら、8,000文字を超えてしまいました。
ぜひ、お手にとってお読みいただきたいです。私の紹介文では伝えきれないほどの魅力にあふれた本です。
一緒に「わたしだけ」を探していきましょう!